
国際バカロレア(IB)のPYP(Primary Years Programme)は、探究を通して学ぶ子どもの姿を中心に据えた教育プログラムです。
近年、日本の幼児教育現場でも注目が高まっており、認定こども園や幼稚園の導入事例も増えています。
とはいえ、導入を検討する園長先生やPYPコーディネーターの多くが、こんな悩みを抱えています。
「PYP認定までにどんなステップがあるのか見えにくい」
「IBの基準に沿って準備を進めたいけれど、どこから手をつければよいのか分からない」
「職員の理解や負担をどう調整すればいいのか不安」
こうした声は非常に多く聞かれます。PYPの理念は魅力的である一方、導入プロセスは長期にわたるため、計画的に進めることが欠かせません。
この記事では、IB PYP認定までのスケジュールと導入における課題、そして乗り越えるための具体的な対策を解説します。
PYP導入の意義 ― 学びの主役は子どもたち
PYPの目的は、知識を教え込むことではなく、「学び方を学ぶ力」を育てることにあります。
子どもたちは遊びや生活の中で「なぜ?」「どうして?」という疑問を自然に抱きます。
PYPでは、この“問い”を出発点に、友達と話し合い、調べ、考え、表現する過程を大切にします。
たとえば「植物はどうして育つの?」という子どもの問いから、観察・実験・絵本での調べ学習へと発展する。
このように、保育者は「教える人」ではなく、「子どもの探究を支える人」として関わります。
子どもたちの姿を見取りながら、育ちを支えることが保育の中心となるのです。
PYPを導入することで、園全体が「学び合う文化」に変わります。
子どもたちの成長だけでなく、職員や保育士も、共に学び続ける姿勢を持つようになります。
IB PYP認定までの基本ステップ
PYP認定までの流れは明確に定められています。大まかなスケジュールを理解しておきましょう。
準備・申請期(1年目)
まず、園の教育理念とPYPの理念がどのように重なるかを整理します。
IB本部への申請手続き(School Application)を行い、園全体で方向性を共有します。
この段階では、園長やPYPコーディネーターのリーダーシップが重要になります。
候補校(Candidate)期間(2〜3年目)
IBから候補校として承認されると、探究型カリキュラム(POI:Programme of Inquiry)の整備が始まります。
職員研修やリフレクションを通して、「探究的な学びとは何か」を園全体で深めていきます。
同時に、「言語」「評価」「多様性」などに関するIB必須ポリシーの整備も進めます。
コンサルタント訪問(3〜4年目)
IB本部から派遣されたコンサルタントが園を訪問し、実践の様子を確認します。
このとき重視されるのは、理念が書面ではなく日々の保育に根づいているかです。
つまり「子どもの姿」「職員の対話」「保護者さんとの関係づくり」がポイントになります。
認定(Authorization)取得後
認定校になると、IBネットワークの一員として活動が広がります。
ただし認定はゴールではなく、スタートです。
5年ごとの再評価(Evaluation Visit)を通して、継続的な改善が求められます。
導入初期にありがちな誤解とつまずき
PYPを導入する際に誤解されやすいのが、「英語教育プログラム」として捉えてしまうことです。
PYPは英語力の育成が目的ではなく、「考える力」や「多様性を尊重する姿勢」を育む教育です。
英語はその一部であり、中心ではありません。
また、「POI(探究計画)はすぐ完成させなければならない」と焦るケースも多いです。
しかし、PYPは“成長し続けるカリキュラム”を大切にしています。
最初から完璧を目指すより、試行錯誤しながら改善していく過程こそが評価されます。
園全体で共有しておきたい3つの視点
PYP導入に向けて最も大切なのは、園全体で理念を共有することです。
そのために次の3つの視点を意識してみましょう。
1. 子どもたちの育ちをどう支えるか
探究を通して子どもが自分で考え行動する姿を見取る。
その学びのプロセスを支えることが保育の目的です。
2. 職員同士でどう学び合うか
カリキュラム会議を「振り返りと気づきの場」に変え、同僚同士が対話を重ねる。
これが園の学びの文化づくりにつながります。
3. 保護者さんとの理解をどう深めるか
PYPの理念や子どもたちの学びの姿を、園便りや発表会でわかりやすく伝える工夫を。
共感が広がると、園全体の一体感が高まります。
IB PYP認定までのスケジュールを理解しよう
PYP認定は数カ月で完了するものではなく、通常3〜5年をかけて段階的に進みます。
この期間を「理解 → 実践 → 定着 → 認定」と捉えると、園全体の見通しが持ちやすくなります。
1年目:理解と準備の段階
最初の1年目は、園の方針とPYPの理念を照らし合わせる段階です。
園長やPYPコーディネーターを中心に、「なぜIBを導入するのか」という目的を明確にしていきます。
職員研修では、PYPの基本概念(Key Concepts)や学習者像(Learner Profile)を共有し、探究的保育の考え方を理解します。
この時期の目標は、「PYPが目指す教育とは何か」を園全体で共通理解すること。
POI(Programme of Inquiry)の設計はまだ急がず、まずは職員の意識づくりと学びの土台を整えることに専念します。
2〜3年目:探究型保育の実践期
候補校(Candidate)としての承認を受けたら、いよいよ実践が始まります。
この時期は「探究の単元(Unit of Inquiry)」を少しずつ導入し、試行錯誤を重ねる大切な期間です。
探究は一方的な指導ではなく、子どもたちの「気づき」「問い」から始まります。
たとえば、「水ってどうやって流れるの?」という子どものつぶやきをきっかけに、園庭や水遊びを通して観察や発見が広がっていく。
その姿を保育士が丁寧に見取り、振り返り(リフレクション)を通して次の活動へつなげます。
同時に、PYPに必要なポリシー(Language/Assessment/Inclusion)を整備します。
書面を作るだけでなく、「日常保育の中でどう反映するか」を話し合いながら形づくることがポイントです。
3〜4年目:園文化としての定着期
コンサルタント訪問に向け、園全体の学びを体系化する段階です。
職員会議では「探究のプロセス」や「振り返りの共有」を定例化し、学び合う文化が根づき始めます。
この時期は、園全体が「同じ方向を向いているか」を確認する重要な期間でもあります。
外部評価では、理念と実践が一致しているか が大きなポイントです。
つまり、掲げたビジョンが職員一人ひとりの関わりや言葉の中に現れているか。
そこを意識して保育記録や園内研修を積み重ねていくことが求められます。
スケジュール管理のコツ ― 無理なく継続するために
PYP導入は長期的なプロジェクトです。計画倒れにしないためには、次の3つの視点が欠かせません。
年間計画を「探究」と「体制」で分けて立てる
1年の中で「どの探究単元を行うか(POI計画)」と、「職員研修・共有会議などの体制整備」を分けて考えると、実行しやすくなります。
POIは柔軟に見直しながら成長させる意識を持ちましょう。
コーディネーターが“翻訳者”の役割を担う
PYPでは多くの英語資料が登場します。コーディネーターはそれらを分かりやすい言葉に置き換え、職員間で共有することが大切です。
専門用語をそのまま伝えるのではなく、「日常の保育に置き換えると何を意味するか」を丁寧に説明すると理解が深まります。
小さな成功体験を積み重ねる
「すぐに成果を出す」よりも、「子どもたちの姿の変化を見取る」ことに焦点を当てましょう。
たとえば、子ども同士の対話が増えた、発表で自信をもって話すようになった――そんな小さな成長を共有することで、職員のモチベーションが上がります。
困ったときに見直したい基本原則
導入期に迷ったときは、PYPが大切にする3つのキーワードを思い出してください。
探究(Inquiry):子どもが主体的に問いを立てること
概念(Concept):学びの本質を見抜く視点
振り返り(Reflection):学びを言葉で整理するプロセス
これらを意識して保育を見直すことで、活動が「PYPらしい学び」に近づいていきます。
焦らずに、少しずつ園の文化を育てていくことが何よりの近道です。
IB PYP導入で直面しやすい課題とその背景
PYP導入を進める園では、「理想と現実のギャップ」に悩む声が多く聞かれます。
理念は理解できても、日常の保育とのすり合わせに時間がかかるのが実情です。
ここでは代表的な課題を挙げ、その背景を整理します。
職員間の理解に差がある
PYPは新しい教育アプローチであり、全員が同じペースで理解するのは難しいものです。
経験年数や専門性によって、探究保育へのとらえ方が異なります。
「PYP=特別なカリキュラム」と捉える職員がいる一方で、「いつもの保育の中にある」と考える職員もいます。
このズレが、会議や実践の方向性を揃える際の壁になります。
保育記録・書類の負担が増える
PYPでは、探究の過程を「見える化」することが大切です。
そのため、保育記録や振り返りの文書量が一時的に増える傾向があります。
「子どもの姿をしっかり見取りたいのに、書くことばかりで時間が足りない」と感じる職員も少なくありません。
保護者さんへの説明が難しい
「IBってなんですか?」「英語教育とは違うの?」という質問はよく聞かれます。
PYPは「学び方を育てる教育」であることを伝える必要がありますが、難解な言葉をそのまま使うと誤解を招いてしまうことがあります。
PYP導入をスムーズに進めるための3つの対策
課題を解決するためには、組織としての工夫が欠かせません。
次の3つの対策を意識することで、導入がスムーズに進みやすくなります。
①「翻訳と共有」を意識する
IBの専門用語はそのままでは理解しにくいものも多くあります。
たとえば “Learner Profile” は「学習者像」と訳されますが、現場では「子どもたちがどんな姿でいてほしいか」という具体的な言葉に置き換えると共有しやすくなります。
コーディネーターは“通訳者”としての役割を担い、文書を噛み砕いて伝えることが大切です。
また、共有は「言葉」だけでなく「実践」でも行うことがポイント。
たとえば園内研修で実際の保育動画を見ながら話し合うと、理念と現場をつなげやすくなります。
②「小さく始めて深く続ける」
POI(Programme of Inquiry)を一度に完成させようとせず、1学期に1〜2単元から始めるのがおすすめです。
焦らずに、少しずつ探究的な活動を増やしていくことで、職員も子どもたちも無理なく慣れていきます。
「一歩ずつ積み重ねる」姿勢こそが、IBの理念と一致します。
また、単元の振り返りを「成功点」と「改善点」に分けて整理すると、次の探究に生きてきます。
振り返りを蓄積していくことで、園のオリジナルPOIが少しずつ形成されていくのです。
③ 保護者さんと“学びを共有する”
PYPは園と家庭が連携して子どもの育ちを支える教育です。
園内だけでなく、保護者さんにも理念を伝える工夫が求められます。
たとえば、園便りに「探究を通してこんな学びがありました」と写真付きで紹介したり、発表会のテーマをPOIに関連づけたりすると、保護者さんの理解が深まりやすくなります。
保護者さんが「うちの子が主体的に考えている」と感じられると、園への信頼が自然と高まります。
家庭との共有は、結果的にPYPの実践を支える大きな力になります。
導入における注意点 ― 理念にとらわれすぎない
PYPの理念を守ろうとするあまり、現場が「理論のための実践」になってしまうケースがあります。
IBの目的は「理論通りにやること」ではなく、「子どもたちがよりよく生きる力を育てること」です。
つまり、理念にしばられるのではなく、子どもの姿から出発すること が何より大切です。
たとえば、単元計画どおりに進まなくても、子どもが夢中になっているなら、それも立派な探究の姿です。
「計画に合っているか」より、「子どもがどう学んでいるか」を見取る視点を持つことで、PYPの本質が見えてきます。
職員のモチベーションを保つために
導入期は試行錯誤が続くため、疲れを感じる職員も出てきます。
そんなときこそ、「小さな成功体験」を意識的に共有しましょう。
「子どもが自分から質問した」「保護者さんが学びに共感してくれた」など、ポジティブな出来事を園全体で喜び合うことが、継続の原動力になります。
また、外部の研修や他園との交流も有効です。
PYP候補校や認定校同士のネットワークは貴重な学びの機会となります。
他園の実践を参考にしながら、自園に合った形を模索していくことが、持続可能な探究文化を育てます。
IB PYP認定に向けたまとめ ― 継続的な学びの文化をつくる
PYP導入は一度の研修や計画で完成するものではありません。
むしろ「探究し続けること」こそがPYPの精神です。
認定を目指す過程そのものが、園の成長であり、学びの文化を育む貴重なプロセスになります。
認定という目標を意識しつつも、「子どもたちの育ちを支えるためにPYPを活用する」という原点を忘れないことが大切です。
子どもたちが探究する姿に心を動かされ、そこから新たな気づきを得る――その繰り返しがPYPの真の価値につながります。
認定をスムーズに進めるための園運営のポイント
PYP導入を成功させる園には、いくつかの共通点があります。
それは「理念を現場に落とし込む工夫」をしていることです。
職員会議を“学び合いの場”にする
PYPを導入すると、カリキュラム会議や研修の意味が大きく変わります。
会議を単なる報告の場にせず、「気づきの共有」「学びの発見」を目的とすることで、探究の文化が根づいていきます。
職員同士が「なぜそう感じたのか」を語り合う時間を増やすと、チームとしての一体感も高まります。
言葉の統一でビジョンを共有する
園の中で「探究」「学び」「成長」といった言葉の意味をそろえることも重要です。
同じ言葉を使っていても、解釈がバラバラだとチームの方向性が定まりません。
ビジョンボードや共通用語集を作成し、職員間での言語共有を習慣化すると、意思決定のスピードが上がります。
環境設定を探究的にデザインする
PYPの「環境を通して学ぶ」という理念を実践するには、環境づくりも探究的に考える必要があります。
子どもたちが自分の興味を広げられるよう、コーナー保育や素材の配置を工夫すること。
壁面や展示も「先生が作る作品」ではなく、「子どもたちが考えたもの」「対話が生まれるもの」に変えていくことが大切です。
日々の保育で試してみたい工夫
導入初期から無理なく始められる、PYP的な保育の工夫をいくつか紹介します。
① 子どもの問いをそのまま掲示してみる
たとえば、「どうして雨は降るの?」という子どものつぶやきを壁に貼り出すだけでも、探究の入口になります。
職員や保護者さんもそれを見て声をかけやすくなり、園全体に学びの対話が生まれます。
② “見取りメモ”を共有ノートに残す
保育士同士で子どもたちの小さな気づきを共有する仕組みを作りましょう。
「今日○○くんが自分から調べようとしていた」「友だちと意見を交換していた」といったメモを週単位でまとめると、学びのプロセスが可視化され、POIの更新にも役立ちます。
③ 「できたこと」より「考えていること」をほめる
PYPでは、結果よりも「考える過程」を重視します。
「どう思ったの?」「次はどうしたい?」と問いかけることで、子どもたちは自分の思考を言葉にしやすくなります。
保育士の声かけ一つで、子どもの探究心は大きく伸びていきます。
書籍を活用して職員間の学びを広げよう
PYP導入にあたっては、IB公式の英語資料だけでなく、国内で出版されている日本語の解説書や実践事例集を併用するのがおすすめです。
英語文献をそのまま読むのは難しい部分も多いですが、日本の園の事例を交えた書籍を参考にすることで、「自園ならどうできるか」を具体的に考えやすくなります。
職員同士で同じ本を読み、感じたことを共有することで、自然にPYPの理念が浸透していくでしょう。
「本を通して学び合う文化」をつくることも、IB認定を支える大切な基盤です。
『探究プロジェクトの最前線 国際バカロレア(PYP)の理論と実践』から学ぶ
PYPの理論を実際の教育現場にどう活かすかを、具体的なプロジェクト事例を通して紹介する一冊。
「探究とは何か?」「子どもが主体的に学ぶとは?」という問いに、理論と実践の両面から丁寧に答えています。
カリキュラムデザインの考え方やPOI構築の流れ、子どもたちの学びを見取る評価の視点まで、現場で活かせる内容が豊富に掲載されています。
これからPYPを導入する園や、認定校を目指すチームにとって、共通理解を深める指針となる一冊。園全体での探究文化づくりを支える実践的ガイドとして、園長先生やPYPコーディネーターにぜひ読んでほしい内容です。
まとめ ― 認定を“ゴール”ではなく“探究のスタート”に
IB PYPの認定は、園にとって大きな節目となります。
しかし、それは終わりではなく、新しい探究の始まりです。
子どもたちの問いに耳を傾け、仲間と共に学びを深める過程そのものがPYPの実践です。
焦らず、完璧を求めず、日々の小さな変化を楽しむ気持ちで歩みを進めていきましょう。
その積み重ねが、きっと園全体の「学びの文化」として根づいていくはずです。